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佐久間ダム逍遙・2 佐久間電力館の屋外展示 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 佐久間電力館の前庭に、こんなものがありましたよ。
何だと思いますか。
 まあ、こうした展示館の前には、よくあるものですが、
実際に、水力発電所で使われていた、水車でありました。
水力発電所は、ダムなどによって、大量の水に大きな落差を付け、
落下する水の勢いで、水車を回し、水の位置エネルギーを回転エネルギーに変え、
それで発電機を回して発電を行っているのですよね。
 ここに展示されているものは、いわば水力発電システムの
心臓部にあたるものの1つといえます。

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佐久間ダム逍遙・1 佐久間電力館 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 佐久間ダムの見学の前に、こちらを訪問しました。
佐久間電力館です。
佐久間ダムを建設した際の、現場プラントの後に出来たPR館です。

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 佐久間電力館は、佐久間ダムと佐久間発電所の歴史や役割などを説明する企業博物館で、
ダムと発電所とこの電力館の運営は、J-POWER、すなわち電源開発株式会社でありました。

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メインは、佐久間ダム [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 このところ、ちょっと時間をとり、お出かけをしました。
その一部は、前の記事「重陽の日没」になりましたが、
今回のお出かけのメインは、この佐久間ダムでした。
感動・感激、見学後の想いが大きくて、すぐに記事にできないほどでした。
また、オイオイあっぷしてまいります。
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重陽の日没 [さんせっとorとわいらいと]

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 今日、9月9日は、重陽の節句。
そんな日に見た日没です。
いつものお山に沈む日没ではなく、平らな地平線(というのも何ですが)に沈みました。
そう、ここは、静岡県西部の政令指定市のS市内です。
うん、ずっと前、先輩の信玄さんが、遠征に来たことがあったなぁ、この近くまで。
このところ、ちょっと登場した家康くんの、ゆかりの地でもありますねぇ。
(歴史に親しみを持てるブログを構築中! デヘヘ・・・イイカゲンネモンダ!!)
休みを取りまして、あやしいツアー中の一こま。

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 サンセットからトワイライト、目指すは、正面の高層建築。
今宵のお宿です。

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 30階からの夜景を眺めながら、やまなし産のワイン(何故かそうなのです)
をいただき、重陽の節句をお祝いしたのでした。
以上、たぁーいもねぇー速報でした。
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本遠寺スケッチ・その3 [いのり・信仰]

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 日蓮宗の名刹、大野山本遠寺の参道の脇、本遠寺さんの境内の続きに、
本遠寺さんの塔頭の1つである良円寺があります。
良円庵ともいますが、その塔頭のお堂の前のかたわらに、
こんな変わったお地蔵さんがおわしました。
何気なく、撮影したので、正面観とかなくて、うまくお伝えできませんが、
お顔の表情が、よく見るお地蔵さんとは、だいぶ異なっていました。
また赤い前掛けに隠れてよくわからないですが、
衣紋もだいぶ変わった表現になっているようです。
お足もとてもかわいらしいですよ。
たしか、水掛地蔵という札があったかと・・・(写真撮らなかったので不確か)。

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 変わったお地蔵さんだということで、何か手がかりはないかと思い、
ちょっと横から見てみると、台座に、彫り込まれた文字が見えました。
この画面で、「大正九年五月吉日 / 大野山良円庵 / 十七世・・・」
と読めました。
きっと良円庵17世の代に当たる大正9年(1920)に、
何かのご縁で造立されたものと思われました。
銘文を最後まで読みたかったのですが、お地蔵様に手をかけなければならず、
そこまでの失礼は出来なかったので、ここまでの情報でお終いです。

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 なお、水掛地蔵さんなので、青いプラバケツとひしゃくが置かれ、
水気が辺りにありました。
そうした環境があれば、こうした御仁がいらっしゃっても不思議はないですよね。
周囲の色に配慮して変身したアマガエルのようでした。
水掛地蔵様のお使いなのではないかと思い、静かに手を合わせました。

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 なお、本遠寺さんのことや、良円寺さんのことについて、調べようと思って、
身延町の町誌を見ようとしましたが、手元にはありませんので、ネットに頼りました。
身延町のホームページの中に、図示したような入口がありまして、
ねらった情報を見ることが出来ました。
参考までに、追加でご案内申し上げます。
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次の満月は“十五夜さん” [月や宇宙・宇宙開発]

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 昨晩、就寝前に、月を撮りました。
この時点で、月齢は16をまわっていました。
右側がかけ始めていて、まん丸ではありません。
その前夜に撮ればよかったのですが、天気がお邪魔してました。
 さて、次の満月は、10月3日の土曜日。
“十五夜さん”だぞー。
準備おさおさ・・・、芋名月を楽しみたいと思います。
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本遠寺スケッチ・その2(続編) [寺院めぐり]

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 実を申せば、この7月の後半にも、本遠寺さんにお邪魔をしていたことがありまして、
何気なくその時の写真をチェックしてビックリ。

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 ゴジラ(ナメクジの親分でもいいのですが)が、のっていた例の建物、
そのときは、白壁が、かなり古びていまして、
その後、8月の終わり近くまでの約1月間で、お化粧直しが行われたのだ、
ということがわかったのです。
(きっとお寺さんの関係者やご近所の方にすれば、何の驚きもないことなのでしょうけど)

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 お万様のお墓の方から拝見した状況も、このとおりでございました。
本遠寺さんのリニューアル計画は、まだまだ続いておられるのだ・・・、
というお話し・・・それがスケッチその2の続編のポイントであります。
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本遠寺スケッチ・その2(完結編) [寺院めぐり]

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 前々回の「本遠寺スケッチ・その1」で使用した最初の写真ですが、
再びご覧いただくのは、この写真の右端にご注目いただきたいからです。
ほんの少しですが、白壁の建物が見えていますね。

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 位置を変えて見たものが、こちらの写真です。

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 屋根には、緑がかった釉薬(うわぐすり)がかけられた瓦が葺かれています。
その下り棟の途中に、ゴジラのような形の飾り瓦が配されているのが、
興味深く目にとまりました。

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 前回の記事は、途中でお終いになってしまいましたが、
これだけを見ていると、ほんとにゴジラによく似てますよね。

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 少しだけ引いて見ますと、屋根の下り棟の途中で、
すごみのある怖いお顔で、辺りに睨みをきかせています。

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 睨みつける先の方、下り棟の先端には、古代の寺院の大棟の両端によく見かける
鴟尾(しび。沓形=くつがた=とも呼ばれる)が付けられているのも、
とても興味がそそられました。

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 反対の向かって右手の下り棟には、こちらのゴジラがいました。
(角はもともとないのか、それとも年月の中で失われたのか不詳)

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 こちらの写真は、今回、問題の建物の全景を、
後々の記事で触れる予定の「お万の方」さまの墓所の方から見たものです。
未確認(直接お寺さんに伺えばよいのですが、それができなかった)ですが、
この建物は、宝物庫ではないかと思われます。
この宝物庫に、火災や盗難などの災いが寄りつかぬよう、
今日も今晩も、休むことなくゴジラ立ちは睨みをきかせ続けているのです。
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本遠寺スケッチ・その2 [寺院めぐり]

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 じゃじゃじゃん、じゃじゃじゃん、じゃじゃじゃじゃ、じゃじゃじゃん。
ぎゃおーぅっ・・・。

(この時期は未完成でして、後記事で結末をお確かめください)
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本遠寺スケッチ・その1 [寺院めぐり]

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「ええぇ~い! しずまれ、しずまれっ、このもんどころが めにはいらぬか!!!」
ご存知、徳川さまの家紋の「丸に三つ葉葵紋」です。金ピカの・・・。

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 身延町大野にある、日蓮宗の名刹・大野山本遠寺のご本堂でありまして、
先ほどの徳川さまのご紋は、大棟の飾りなのでありました。

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 境内に説明板がありまして、説明板というよりは、そのタイトル通り
「寄附勧募のお願い」という、いわば勧進案内ですね。
これに曰く、

  平成十四年より六ヶ年をかけて、徳川御三家の内、紀州家と水戸家の祖が、
  家康の側室であり、御二方の生みの親である「お万の方」の要請で建立された
  当山の本堂・鐘楼堂が三百五十年の歳月でご覧のとおり老朽が激しく
  文化庁・山梨県・身延町の助成を戴きながら修復致すこととなりました。
  完成のあかつきには、建立時の往古の姿に復すべく、左記の通りに勧募・・・

ということで、まだ解体修理が行われる前に設置された勧進案内のようでした。
今回、スケッチしたように、ご本堂の修復は終わっていて、
この夏の初めには、落慶法要が盛大に挙行されたとの報道もありました。
 勧進案内には、当然続きがありまして、「左記の通り」とは、
総工事費予定額が13億2063万円余で、この額には、国と県と町の補助金が使われ、
お寺さんの用意する経費2億6千万円について勧募します、一口1万円から・・・
となっていました。
 信心の証として、勧募に応ずる場合はさておき、公費からの10億円近くのお金、
これについては、いろいろな見方があるのではと思われます。
残念ながら、修理前の写真を持ち合わせていないので、
ビフォア・アフターみたいな評価ができないのですが、伺うところによると、
後世に瓦葺きとされたことにより、屋根の重みが増大し、ついには支えられなくなってきたので、
垂れ下がった軒を元に戻す解体修理を進める中、檜皮葺の当初の姿を復元する
各種の証拠が見つかり、最終的には、「完成のあかつき」としていま見るように、
りっぱな檜皮葺のご本堂が蘇ったのであり、在りし日の歴史的な姿が、いまに理解できるもの、
また今回の修理により、向こう300年程度、文化財としての姿が続くのであれば、
年にして400万円ほどの割合であり、考えようによっては、お安い負担ではとも。

 たまたまお参りした本遠寺さん、まだまだ話題がいっぱい、続きをお楽しみ。
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